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エコキッズで講演会


先日、私の地元でささやかな講演会をさせてもらった。エコキッズクラブでは、月1位でみんなで集まり、環境について話し合ったり、実際にボランティア活動をしたりするそうだ。私の地元なのに、こんなクラブがあるとは全く知らなかったので驚くとともに、自分の地元が誇らしく感じた^^

その日来た子供たちは6,7人で、そのご両親を集めて10人位の方の前で私達の旅の話をさせてもらった。

久しぶりに壁に飾った竹馬をおろし、押し入れに封印したリュックとすっかりと家におちついたポンゴ君(旅にお伴してくれたオランウータンの人形)を子供たちに見せることにした。

まず初めに理解してほしかったこと、それは私達が行ったチャレンジがどんなものだったのかということ。ミックが旅の様子を話している約5分間の間、その場にいた男の子に竹馬に乗って歩いてもらい、降りたあとに10キロほどの水が入ったリュックを背負ってもらう。

「これで竹馬で日本縦断、出来る~??」との問いに彼らは、

「いや無理無理!絶対無理!」

う~ん、久しぶりだな~この反応!旅が始まる前からずっと聞き続けたこの言葉。

でもこのチャレンジをするのは最も無理だと思われる人物はこの私。だって運動神経も決していい方ではないし、貧血持ちで体力に自信があるわけでもない。虫は大の苦手だし、(昔実家に住んでいたころ、家にナメクジがいるのを発見したが退治できず、近くの友達を呼び出して塩をまいてもらったほど嫌い!)外でキャンプなんて2度くらいしかしたことない。しかもかつてものすごい人見知りで、周囲の人に注目されることが大っ嫌いだった私。小学生低学年の頃まで、父親以外の男性が近づくとおお泣きし、隣に知らない人が座るだけで緊張していた。その私が、竹馬に乗って歩くというこの上ないおかしなことにチャレンジし、毎日人にジロジロ見られたり笑われたりする毎日を189日間行ってきたのだ。そして約3000キロの道のりを、15キロのリュックを担いで、野宿しながら竹馬で歩くことが出来たのだ。

これを聞いても、あなたに竹馬日本縦断は無理だと思いますか?

私が言いたいことは、何もみんなに竹馬日本縦断をしてもらいたいなんてことではない。ただ、何かを始める前に、これは私には無理だ、と思わずに、まずは始めてもらいたいということだけ。

ここにいた数人の子供達、本当にキラキラした目をしていた。私達の話、出来ないことはない!ということを理解してくれたのだと思う。前から何度も言っているけど、ものすごいパワーを持っているのは私達大人ではなくて、子供たち。私達に出来ることは、自分たちの経験を話して子供たちの「出来る」というパワーと可能性を引き出してあげること。昨年の経験が、こんな風に役立って本当に良かった!そして元気で明るい子供たちに会えて良かった!

そこにいらっしゃった保護者の皆様から寄付金を頂きました。ありがとうございました!頂いた寄付金は、BOS日本のポンゴホゴホゴプロジェクト口座に振り込ませて頂きました。皆さんの暖かいお気持ちがポンゴの森に届きますように☆

posted by Mick and Miki Tan @ 22:41, ,




倉敷青年会議所にて講演会



だいぶ遅くなってごめんなさい!
先月、倉敷の青年会議所で講演会をして来ました。

ことの始まりは、倉敷の国道を歩いていた時に高谷さんに出会ったこと。高谷さんは、私達がコンビニで休んでいたところ、作業着にトラックという様相でやってきた。
「何やってんの!?」と心底驚いた顔。私達は理由を説明すると、みるみる顔が輝いてくる。
「スゲーなぁ。あ!じゃあ俺寄付するよ!あれ?金がねぇな。。。じゃあそこでおろしてくるから。ちょっちょっと待ってて!ここで待っててね!」
といってトラックで去っていった。実はこのところ竹馬の調子が悪く、日はだんだん短くなるのに何時間も修理に時間をとられ、毎日あせったりイライラしたりでへこんでいた。高谷さんと会ったこの時も、壊れた竹馬を直していて2人とも疲れ果てていた時だった。だから高谷さんの行動、ひとつひとつに励まされたのだ。
高谷さんは戻ってきて私達に寄付を渡し、すぐに去っていってしまった。
高谷さんから再び連絡があったのは旅を終了したすぐあとのこと。
「倉敷で会った高谷です。覚えてますか?」
出会った時の話し方と随分ギャップがあったけど、私はすぐに思い出した。そして、高谷さんは私達に、自分が所属する倉敷青年会議所での講演会の講師として招きたいと言ってくれた。
まさか自分が講師だなんて!そんな大役私に務まるのか、かなり不安だった。しかもその日は平日だったので、ミックは仕事で来れないから私一人。でもせっかくのお申し出を不安だからと断るわけには行かない。私は一人で倉敷まで行く決心をした。
講演会に来られる方は100名を越えるという。しかもホテルの一室を借りてやると言う。やるからにはみなさんに満足していだたけるお話をしなくては。

―やっぱりパワーポイントとか使った方が分かりやすいしプロフェッショナルな感じかな。
-退屈しないように映像を間に2回くらい流して。。

これでなんとか皆さんに興味を持って聞いてもらえるかな。準備を終えて、倉敷に行く前日、ミックに通して私のプレゼンを聞いてもらった。ミックは、
「ミキはこれでいいと思う?」 と私に聞いた。私は
「実は、まだこれでいいのか不安が残るんだよね。。」 と言った。
「ミキの話はプレゼン必要なのかな?だってミキの話はみんなに何かを教えるんじゃなくて、感じてもらうことでしょ。プレゼンを見せるとみんなの意識がそっちにいっちゃうし、むしろ邪魔になるんじゃない?」
「確かに。。」
「しかも映像も、2種類も流す必要なくない?佐多岬ゴールの映像だけで十分私達の旅の様子は伝わると思うよ。2つもあったら混乱するし、まとまらないよ。」
「そう、、そうだよね!じゃあ今から変える!」
そして倉敷出発前日に、プレゼンを使うのを中止し、今までの計画を180%変更した。私達の経験を話すのに、プレゼンなんて必要ない。退屈なんかさせない。私が心から思っていることをみなさんに伝えるだけでいいんだ。そう思ったらとても気持ちが軽くなった。

そして岡山空港に着き、そこにいたのは前から私のチケットや当日の進行の手配などを陰ながらしてくれていた日吉さん、そして梶房さん。梶房さんとは東京の講演会で一度お会いしていたのだけど、あの時の私はTシャツにパンツで、今日はガラリと変えてスーツだったので初め気付かなかったそう^^; 確かにHPの写真もいつも竹馬だったし、スーツなんて着てたらたとえ旅で出会った人に会ったとしても同一人物とは誰も思わないだろうなぁ。2人はホテルまでの道のりで色々な話をしてくれて、私もリラックス出来た。

そしていよいよ講演会。中に入って拍手が終わるとシーンと静まり帰った。高谷さんが私のことを紹介してくれる間私の緊張はピークに。こんなに人がいるし、なんかお偉いさんみたいな方がたもたくさんいるし、大丈夫!?私!?
でも、自分のチャレンジの紹介をし始めると、不思議と気持ちが落ち着いてきた。ジョークを言う余裕まで出てきた。(誰か笑ったかは覚えていないけど 汗)

私がこの日、一番伝えたかったこと。それは、自分が出来ることをなんでもいいから始めてもらいたいということ。だってこの会場にいる皆さんは、会社の経営に携わっていたり、社会的地位が高い方がたばかり。ということは、私達なんかよりももっともっと周囲に影響力がある人達の集まりだ。そんな人達が集まって何かやろうって決めた時、出来ることの可能性に限界なんてない。

倉敷青年会議所の今年のスローガンは、「限界に挑戦」ということだった。青年会議所の方々はとても一生懸命で、まっすぐで、まじめで、でも面白くてとても魅力的な人達だった。この人達が、限界に挑戦し続ければ倉敷はもっともっと素晴らしい街になること間違いなし!

この日、来て下さった一般の方々にアンケートを書いてもらったものを頂いた。見たら、すべての人が満足、ほぼ満足に丸をつけて下さっていた。そして自分でも何かやろうと思った、というコメントを書いて下さったかたがほとんどだった。私が伝えたかったこと、きちんと伝わったみたいだ!本当に嬉しかった。この講演会に来て下さった皆さん、ありがとうございました!

最後に、私の観光に付き合ってくださった青年会議所の皆さん、本当にありがとうございました!
美観地区、大原美術館、むらすずめ、黄ニラ、ママカリ、、そして明るい地元の人たち。
倉敷は私の大好きな街の一つになりました☆
↓むらすずめの手作り体験。熱いんだなこれが!

posted by Mick and Miki Tan @ 22:20, ,




自分が出来ること

竹馬の旅をしている途中ある新聞記者の方から、
「オランウータンよりも先に白熊を救ってほしいんですけどね」
と言われたことがある。

また、ある人にインドネシアの森が伐採されている現状を話すと、
「インドネシアの教育はまだ進んでいないから、悪いことしてるって分からないのよね」
と言われた。

この話を聞いて、皆さんはどう思いますか?
以前の私だったら、別にこの話に対してなんも感じなかったかもしれない。でも今は違う。

私が環境問題を真剣に考えだしたのは約6年前。何かのテレビで、フィリピンの小学生くらいの女の子がゴミ山の中からアルミ缶などを探しだして、それをお金に換えて病気の母と幼い妹を養っているという生活を写したドキュメンタリー番組だった。その子は毎日の食事もろくに食べれていなかったので、ゴミ山の中から飴玉の袋を見つけて大喜びしていたのに、袋は空で結局飴玉は食べれなかったシーンがあった。とてもがっかりしている女の子の姿がとても印象的だった。私にとっては飴は口が寂しいから食べるもので、お腹を満たすために食べるものではない。でも、この女の子はその飴さえもご馳走になる生活をしているのだ。以前からこういう問題があるのは知っていたはずなのに、その姿をリアルに見たことによってすごいショックを受けた。テレビの前で涙が止まらなかった。

その時のことがきっかけで未だに私が続けていることと言えば、食べ物を残さなくなったこと。飴玉さえもろくに食べれない子がこの世界にはたくさんいるのだから、せめて私が食べれるものは大切に食べようと思ったのだ。でも私に出来ることってそんなことだけで、私がものを残らず食べても何も変わらない。

誰かあのフィリピンの女の子を助けてくれないだろうか?政治が変われば世界も変わるのに。いつになったら世界がいい世界になるのだろう?こんなことを考えて悶々としていた6年間。でも、他人に頼って待っているだけじゃ何も変わらない。自分が動かなければ何も起こらない。だから去年の7月、せめて自分に出来ることからはじめてみたら何か変わるかもしれない、そう思って竹馬日本縦断の旅を始めた。考えてみたら、この第一歩を踏み出すまで、私は6年間も足踏みしていたんだなぁと思う。

「オランウータンよりも先に白熊を救ってほしいんですけどね」 

救ってほしい、じゃなく、自分が動かなければ何も変わらない。政治が変わるのを待っていたらオランウータンも白熊も絶滅してしまう。どんなに小さなことでも何か自ら始めてみることが、何よりも大事なことだと思う。しかも危機に瀕している動物に対して、救うことの優先順位なんてないと思う。個人個人がこの問題のために出来ることは何か、と思ったことから始めることしか私たちには出来ない。

「インドネシアの教育はまだ進んでいないから、悪いことしてるって分からないのよね」

インドネシアの森林伐採は、インドネシアの人だけの問題ではない。この原因の中には、日本で使う家具や合板を作るためだったり、くだものやヤシのみ油を日本に輸出する物の農園を作るためだったり、日本などで使われる金属を採るためだったり、日本に住んでいる私達にも深く関係する問題である。「買う」ことは投票と同じで、伐採して作った品を買うことは、伐採に関わった企業を応援、賛成しているのと同じことになる。だから消費者の私たちが「買う」ということにもっと着目すれば、消費者から政治を変えていくことは十分に出来ることだと思う。


私たちは189日間、オランウータンの森を救うために、竹馬で日本縦断しながら募金活動を行ってきました。そして集まった募金は約140万。この募金は、すべ てNOP法人BOS日本の「オランウータンの森保護再生プロジェクト」に使用されます。以下のプロジェクト詳細を読んで頂くと分かると思いますが、皆さんから頂 いた140万でボルネオ島の森、140坪を確保することが出来るのです。

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ここで、オランウータンの森保護再生プロジェクトの詳細を説明します。
インドネシア政府の方針で、2015年までに、保護したオランウータンを檻で訓練するのではなく、自然状態の森で保護することが決まりました。
(森から追い払われたオランウータンを保護する施設がボルネオ島にいくつかあるのですが、せっかくオランウータンを保護して訓練しても、彼らをリリースする森がないのが現状なのです)
このためにBOSとして106、000ヘクタール(3億2100万坪)の奥地の森林の利用権を確保して【100年】そこにリリースすることになりました。この森林を確保して利用する権利料と、リリースするための費用で、合計300万ドル(約3億円)必要です。

-約3億坪の森林を3億円で確保する-

ということは、1円あったら100年間、一坪の天然林を確保できるということになります。
そう考えると、1円の力ってすごいと思いませんか?インドネシア政府が保護しようとしているエリアは、森林伐採されてしまったエリアではなく、まだ天然林がのこっているエリアです。

この森を確保するために、私たちも引き続き募金活動などを行っていきたいと思っています。何かしたいけど何も出来ない、とTVの前で私のように涙を流した 経験がある方、もしこのプロジェクトに賛同して下さるのであれば、ご協力を是非お待ちしております。私たちと一緒にポンゴホゴしましょ!


より大きな地図で PT Restorasi Habitat Orangutan Indonesia を表示

posted by Mick and Miki Tan @ 22:59, ,




高知県 あるぷハイキングクラブ


広島県から愛媛県をつなぐしまなみ海道を歩いている時、遠くからグループで歩いてくる人達がいた。元気に挨拶をかわしながらさっそうと歩いていく。私たちを見て驚かれて(そりゃ驚きますよね^^;)、歩く足を止めて話をしてくれた。それがあるぷハイキングクラブの皆さん。
話した時間といえばほんの5分ほど。佐多岬にゴールして、オーストラリアへ一時帰り、帰ってきたのが3月末。東京、下関の講演を終えて、もう竹馬の旅も区切りがついたかなと少し寂しい思いで久しぶりにメールをあける。すると、あるぷハイキングクラブの浜田さんからこんなメールが届いていた。

前略 3月6、7,日 クラブの文化際があり そこに募金箱をおきました。ささやかですが、お送りします。
11月にしまなみでお会いしてからTV ラジオで知った者、旅行でそのオラウータンに逢った者もおり [何かお手伝いできれば] と思いました。 後略

あの時の出会いが、こんな形で繋がったのだ!写真も送って頂いたのだが、そこにはオランウータンの写真の入った資料や募金箱が写されていた。浜田さん達が入念に調べて作ってくれたのだと思うと、本当に嬉しくて、感謝の気持ちで一杯になった。
このクラブでも、山の清掃などを自主的に行っているそうだ。あの時の一瞬の出会いから、こんな風に行動を起こして下さったあるぷハイキングクラブの皆さん、本当にありがとうございます!
またしまなみ海道を渡るときに素敵な偶然に出会えることを祈ります。

posted by Mick and Miki Tan @ 3:18, ,




ラブフロンティア イン 下関

3月27日、下関でラブフロンティアミュージックフェスティバルというイベントに参加してきました!これは、音楽をきっかけに地球環境や貧困、飢餓、教育問題を考えるフェスティバル。前々から下関にはご縁があり、この1年間で下関を訪ねるのは3回目。今回も地元の人のパワーをたくさん頂いてきました!

今回の私たちの役割はというと、朝10時から野外ステージで1時間ほど実行委員である井上さんと対談をすることと、フェアトレードのファッションショーにモデルとして出ること。
下関は竹馬で通らなかったので、私たちの活動を全く知らない人達にお話するということは初めてだったので、どんなんなるかな~と不安半分期待半分だったのだけど、まだ朝早かったからか、お客さんはちらほら。スタッフの人が仕事を止めてイスに座ってくれたり。でも、鹿児島で会ったTV制作会社の高橋さんが撮ってくれたドキュメンタリー映像や、私たちの写真のスライドショーが大画面で流されているのを見て、すごいな~!と素直に感動しました。
そしてその後のフェアトレードファッションショーでは、ピープルツリーというブランドのお洋服を着させててもらいましたが、出店していたのはピープルツリーと大地さんというブランド。
では、フェアトレードとはなんでしょう?それは、途上国の底辺で働く人達が貧困から抜け出せるように、彼等から直接、より高い値段で、継続的に商品を買うことです。うまく説明できないので、以下ピープルツリーさんのサイトから引用させて頂きました。
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フェアトレードは、人と地球にやさしい貿易のしくみです。アジアやアフリカ、中南米などの女性や小規模農家をはじめとする、社会的・経済的に立場の弱い人 びとに仕事の機会をつくりだし、公正な対価を支払うことで彼らが自らの力で暮らしを向上させ、自立できるよう支援します。
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もっと詳しく知りたいかた、ぜひピープルツリーさんや大地さんのサイトを見てみてください。
ピープルツリーの種森さん、大地の須賀さんと、打ち上げをご一緒させて頂いたのですが、お二人ともとっても素敵な方です。目をきらきらさせて話しをするお二人、とても印象的でした。私も自分が心から誇りに思えるような仕事で一生頑張って行けたら幸せだなぁと思うのでした。ちなみにお洋服も雑貨もとーっても可愛いし、着心地もさわり心地も最高です。私は調子に乗ってこの日かなりの買い物をしてしまいました。。

そして、夜のステージでD51さんと相川七瀬さんのライブを見させて頂きました。こんなビックな人達がまじかで見れるなんてすごい!残念ながら、無料イベントだったので集客が予想出来ず、この日の入りは少なめだったのですが、それでもそこにいるお客さんのために一生懸命歌う姿になぜかとても感動してしまいました。実はこのステージを見る前まであまり曲を聞いたことがなかったのですが、この日で断然ファンになりました!
このステージを見て、私たちのトークショーではあまりお客さんがいなくてちょっと気がひるむな、とか一瞬でも思ってしまったことがたまらなく恥ずかしくなりました。私たちとD51さんと相川七瀬さんを比べることがそもそもおかしいのだろうけど、D51さんと相川七瀬さんは「お客さんが少ないな」とかたぶん全く考えていなくて、そこにいる人がたとえたった1人だったとしても精一杯その人の為に歌うのだろうな~と思いました。
最後に相川七瀬さんが、そこにいるお客さんに言った言葉がとても印象的でした。
「自分が歌うことで、誰かを助けることが出来るなら、それはとても素敵なこと。頑張っていつかこの空間がいっぱいになるほど人が来てくれたら、嬉しいですよね」

この日、D51さんと相川七瀬さんのライブを聴くことが出来て、本当に良かった!手が痛くなるほど拍手をして、声がかれるほど声援を送ってもたりないくらいの感動を与えてくれました。

私にとってこのイベントはとても貴重な体験で、忘れられない思い出になると思います。たくさんの人と知り合うことが出来たし、たくさんのことを学ぶことが出来た。また来年も、再来年もずっとこのイベントが続くといいな。そしてたくさんの人がこのイベントを知って、私と同じように感動してくれたらいいな。

ラブフロンティア実行委員会の皆さん、本当に本当にありがとうございました!





posted by Mick and Miki Tan @ 0:17, ,




ポンゴその後・・・西東京で講演会!



この間の1月20日、BOS日本の理事長の宮崎さんより竹馬の旅の講演会をしてほしいとご依頼があり、コール田無というホールでお話をさせて頂くことができた。集まって頂いた方は約60名、子どもから大人まで幅広い年齢層の方が来てくれた。この日のスケジュールは、まずFM西東京ラジオに出演してから、コール田無で1時間ほど講演、そしてそのあとラジオのパーソナリティの方と質問形式で対談を1時間、そしてさらにそのあと、国際ソロプチミストという管理職・専門職に就いている女性のボランティア団体の方々と1時間ほどお話をさせていただくというものだった。

せっかく西東京まで行くので、たくさんの方々とお話できるのはとてもありがたい。しかし私たちの話を3時間も聞いて、皆さん退屈しないかなぁとそれだけが少し心配だった。

ミックはオーストラリア人なので、当然英語が母国語。でもせっかく来てもらう方のためにも、自分らしい日本語で簡単なことは自分が伝えたいと言うことで、講演会のために必死に日本語の練習をしていた。ミックが伝えることは、ボルネオ島の森林伐採の現状と、私たちのチャレンジのきっかけ。この講演会の題目でもあった、「無理と思っていてもやれば出来る!」ということを生徒に伝えたかったということだ。

そして私はと言うと、「無理と思っていてもやれば、、、やっぱり無理なものは無理だ!」と初めて思った時の話が1つ。そして、その無理と思った時からどうやってこの無理なチャレンジをやりとげたのか、という話をさせて頂いた。スピーチの原稿は用意していたのだけど、スピーチが始まると私はほとんど原稿を読まずに皆さんの顔を見ながら話していた。考えてみたら、今までの自分の経験を話すのだから原稿なんてなくていいんだ。自分がその時感じたことを皆さんに伝えればいいのだ、と思ったら自然と緊張がほぐれた。そしてあっという間に3時間が過ぎていた。

その後宮崎さんから連絡があり、20日の講演会の反響と集まった寄付金を教えて下さった。
ありがたいことに講演会は好評で、私たちの話に感動した、という意見が多くあったという。自分たちの経験をこんな風に生かすことが出来るなんて、竹馬中は思ってもみなかった。とても嬉しかった。宮崎さんがその後会場で配ったアンケートを私たちに送ってくれた。すると、皆さん本当にたくさんのコメントを書いて下さっていた。
中でも多かったのは、最後に質問で、「無理だと思っていることに立ち向かうコツは何ですか?」と聞かれて私が答えた答えに着いて書いて下さっているかたが多かった。

その答えは「何も考えないこと。」

細かいことを考えずにとにかく始めてみる。難しいことを始めるのに、一番難しいことはスタートすること。スタートしたらすべてがどうにかなるものだとこのチャレンジで学んだ。結果はどうあれ、そのチャレンジで自分が得るものは計り知れないものだ。そして、あきらめなければ必ずいい結果が出るということを私は信じている。だから、私たちの話が少しでも皆さんの何かを始めるきっかけになってくれれば嬉しいと思う。

そしてその日に集まった寄付金の合計が、なんと344,000円!! 国際ソロプチミストの皆さんと、会場に来てくださった皆さんからいただいたものだ。この寄付金で、344,000坪分の森林を購入することができます。本当に本当にありがとうございます!

そして宮崎さんから、とても心のこもったプレゼントを頂きました。私たちのチャレンジのロゴが入った皮細工のキーチェーン。後ろにはSAVEPONGO、成せば成る!と書いてあります。一生の宝ものになりました。宮崎さん、ありがとうございました!

posted by Mick and Miki Tan @ 23:49, ,




MAC with ガールズ

NHKラジオの収録が終わった後に、私の昔の職場に顔を出した。職場の皆さんもずっとこのチャレンジを応援してくれていたので、無事終わったことをいち早く伝えたかったのだ。

私が初めて社長に「会社を辞めたい」と言ったのは去年の1月。

社長は、「何、オーストラリアに戻るのか?」とまず最初に言った。
私は、「いえ、そうじゃなくて、チャリティ活動しながら日本縦断したいんです」と言った。
さぞ驚くだろうと思ったのに、社長は以外にもとても協力的だった。

「実希ちゃんがきちんと考えて決めたことなら応援するよ。でも日本縦断って大変だぞ。お金とかトイレとかどうすんの!もちろん荷物は誰かに持っていってもらうんでしょ!?どうやって縦断するんだ?自転車か?歩きじゃ無理だろ~」

こんなに心配しているのに、まさか竹馬で、、なんてとても言えない。とりあえず、歩きで縦断、なんとか頑張ります!と答えた。

それから会社のみんなにもこういう理由で会社を辞めると伝えると、反対するどころか今しか出来ないからと、みんな応援してくれた。
社員は社長意外みんな女性である。営業も事務も経理もバイトもすべて女性。そしてどういう訳か、みんなとても個性的でしかも綺麗。そして歌がうまい。社長の雇用基準だろうか(笑)。
しかしともかく私はこの職場が大好きだった。普通女性だけの職場だと色々と問題があったりするだろうと想像するかもしれないけれど、自立していて個人を尊重できる大人の女性の中で働ける環境は最高に贅沢だったし、自分にとってもとてもプラスになったと思う。

私が初めてみんなに「竹馬」で日本縦断すると伝えたのは、私の送別会の日。どんな反応されるか恐ろしくて辞める最後の日まで言い出せなかったのだ。

すこしワインをみんなに飲ませてからだったら大丈夫かな~。。。とか色々考えていたら、前にちょこっと話をして、私が竹馬で縦断することを知っていたリーさんがぼそっと
「あれ?みき竹馬で行くんだよね?」 
みんな一瞬目が点。
「ぇえええ~!!!うそでしょ!?」 口をそろえて驚きの声が聞こえてきた。
そこからはあとの祭り。ともかくみんなに伝えることが出来て良かった良かった。りーさんに感謝!

そのあと、私達のチャレンジ前のキックオフパーティをやったのだが、それにもみんなで来てくれた。綺麗なドレスで竹馬に乗っていた人もいた(笑)

そしてチャレンジを終えてミックと一緒にオフィスへ行くと、みんなで出迎えてくれた。オフィスに行く前に、みんなの名前を間違えないように何度も復唱していたミック。私は会社の話をするときは、ミックがなかなか名前を覚えてくれないのでその人の特徴でニックネームをつけていた。
「インディアンガールはトモさん(インド人ではありません)、ニューガールはカエちゃん、アカウンタントガールはアヤコさん、CZマネージャーはワカコさんだからね!」
「うん、分かった!」
と言っていたけど、、綺麗なお姉さん達に囲まれてラジオより緊張してしまったらしい。なんだかしどろもどろ。それはともかく、私は前と全然変わらない皆さんに会えてとても嬉しかった。

今まで応援してくれて、そして寄付も頂き本当にありがとうございました!
また会えるのを楽しみにしています。


PS:そして影ながら応援してくれた甲府のおじちゃん、ありがとうございました☆

posted by Mick and Miki Tan @ 17:13, ,